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了全塚

 了全塚は篠窪郷の史跡で、眺望のよい山の頂きにある。塚は鎌倉・二階堂一族の流れをくむ二階堂出羽守政貞公の墓地。源頼朝の鎌倉幕府成立直後に起きた内乱、「和田合戦」により、二階堂氏が大井庄に送り込まれた。初代は行政。館は篠窪字入形に置かれ、以来、二階堂氏は代々篠窪の地頭として 存在した。末裔には最後の徳川幕府将軍、徳川慶喜公重臣高橋泥舟がいる。義兄には幕末に江戸無血開城を果たした山岡鉄舟が連なる。 墓の主は六代目、政貞公。伝えでは三嶋社や臨済宗地福寺を建立したとされている。

県道脇に立つ了全塚入口の石碑


 塚は海抜200メートルの前山頂上に在り、以前は命日には村人が集まり供養していたが、最近では竹藪に埋もれていた。数年前に地元有志が整備し、以前の姿を復元した。墓前には「二階堂政出羽守政貞公」と刻まれた石碑や由来碑も建立され、モミジの植栽も始まっている。塚入口の県道脇には「了全塚入口」と彫られた小松石の碑も立つ。県道から10分ほどの塚にはハイカーも訪れている。

了全塚のまわりにも椎ノ木が。